🎠「不思議の国でアリスと」とは?―封印された心の扉が、いま静かにひらく
「あの日、見失った“わたし”に、また会える気がしたんだ」
この夏、日本のアニメ史に新たな1ページが刻まれます。
それは、懐かしいのに初めて。ファンタジーなのに、どこか切実。
現実と夢のあわいに揺れる物語――祖母が生前に用意していた手紙
『不思議の国でアリスと -Dive in Wonderland-』。
静かに封印されていた“心の奥の物語”が、もう一度、開かれます。
この記事を読むとわかること
- 『不思議の国でアリスと』の世界観と物語構造の魅力
- キャスト・挿絵・音楽が織りなす没入体験の秘密
- 副題「Dive in Wonderland」に込められた深い意味
🌙ただのリメイクじゃない。「アリス」は、あなたの中にもいる。
この作品が描くのは、単なるおとぎ話の再構築ではありません。
副題にある“Dive in Wonderland”の言葉通り、観る人それぞれの“内なるアリス”を呼び起こす、没入型の劇場アニメです。
舞台は、現代の大学に通う少女・安曇野りせ(CV:原菜乃華)。
亡き祖母が遺した一通の招待状に導かれ、彼女が足を踏み入れたのは、“もうひとつの世界”。
そこで出会うのは、自らを“アリス”と名乗る不思議な少女(CV:マイカ・ピュ)。
現実と幻想。過去と現在。自分と、もうひとりの“わたし”。
ふたりの少女が交わる瞬間、観る者の記憶もまた、静かにざわめきはじめるのです。
🎬制作陣が紡ぐ、“感情と世界観”のクロスオーバー
- 監督:篠原俊哉
『色づく世界の明日から』『白い砂のアクアトープ』など、感情を風景で語る名匠。 - 脚本:柿原優子
『薬屋のひとりごと』『アオのハコ』で知られる物語構築の名手。 - 音楽:コトリンゴ
静謐でやさしいピアノと声が、心の余白を満たす音の魔法。 - 主題歌:SEKAI NO OWARI「図鑑」
言葉と音が、世界の輪郭を描き出す一曲。
💭“わかる”じゃなく“感じる”アニメーション体験
この映画に、わかりやすいカタルシスはありません。
でも、ふとした仕草、間の沈黙、こぼれた視線の先に、まるで自分の記憶が投影されるような瞬間があります。
それは「誰かの物語」ではなく、観た人それぞれの“心の奥の物語”を映し出す鏡。
気づけばあなたも、物語の深くへと潜っている。
りせとアリスに導かれて、失くした感情と再会している。
――そんな“揺らぎ”を描けるのが、本作の真価です。
📅公開日:2025年8月29日──「この夏の終わり、心の始まり」
『不思議の国でアリスと -Dive in Wonderland-』は、
2025年8月29日(金)に全国公開予定。
配給:松竹/制作:P.A.WORKS/製作:TBSテレビ。
日本初の“アリス劇場アニメ”という記念碑的作品です。
物語は、観終わってからが本番。
劇場の外で、心のなかで、あなたの“アリス”が歩き出す。
この夏、ひとつの世界が終わり、
新しい“自分との対話”が始まるかもしれません。
🌸「不思議の国でアリスと -Dive in Wonderland-」
“見に行く”じゃなく、“飛び込む”映画。
さあ、あなたはどのアリスと出会いますか?
🎙声優キャスト情報|“声”が、もうひとつの不思議をひらく
「その声を聴いた瞬間、ワンダーランドは息をし始めた。」
どんなに美しい映像も、どんなに緻密な物語も、
“声”がなければ、キャラクターはまだ眠っている。
『不思議の国でアリスと -Dive in Wonderland-』は、
“声の演出”そのものが物語の鍵を握る、稀有な作品です。
現実と異世界、そのあわいをつなぐ“声優陣”を、心に響く角度からご紹介します。
🗝 主人公・安曇野りせ(CV:原菜乃華)
何気ない声が、心に残る。
原菜乃華が演じるのは、大学生・安曇野りせ。
映画『すずめの戸締まり』での繊細な表現で注目を集めた彼女は、
今回、“ふつう”の少女が“異常”な世界に出会ったときの揺らぎを、まるで呼吸するように演じています。
その素朴さが、かえって不思議さを際立たせる――
まさに「日常の声がワンダーランドに届いた瞬間」です。
👧 不思議の国のアリス(CV:マイカ・ピュ)
このアリスは、“子ども”というだけでは語れない。
マイカ・ピュは、実写『はたらく細胞』で注目された子役。
彼女の声は、無垢さと不安定さが同居する、不思議な“揺らぎ”を持っています。
笑っているのに、少し寂しい。
はしゃいでいるのに、どこか醒めている。
そんな“子ども”の声が、物語にもう一つの深層を引き出します。
❤️ ハートの女王(CV:松岡茉優)
強く、美しく、そして幼く。
ハートの女王を演じるのは、演技派女優・松岡茉優。
「アリス作品は子どもの頃からの宝物」と語る彼女が、
原作への敬意と自身の感性を重ねて、まさに“情感”を込めて演じる。
その声には、ルールと混乱、愛と孤独が溶けあっている。
強さの奥にある“心の震え”が、聴く人の感情を揺さぶります。
🎩 マッドハッター(CV:山本耕史)
常識と非常識の境界に立つ男。
舞台でも絶大な存在感を誇る山本耕史が、
“夢と論理のねじれ”を声で表現します。
彼が放つひと言ひと言が、観客を“ワンダーランドの論理”へ引きずり込む。
まさに「聴くたびに、意味が変わる」台詞劇です。
🐰🐱個性派キャストが織りなす“声のワンダーランド”
- 三月ウサギ:八嶋智人
- ハンプティダンプティ:小杉竜一(ブラックマヨネーズ)
- 白ウサギ:山口勝平
- チェシャ猫:森川智之
- 青虫:山本高広
笑い、違和感、優しさ、皮肉――
彼らの声が、原作のキャラたちに新しい息を吹き込みます。
なかでも、森川智之の“イケボ”がどうチェシャ猫の不可解さを魅せるのか、
山口勝平の愛らしさが、白ウサギにどんな「逃げる理由」を与えるのか。注目ポイントです。
✨ 境界を越える“声”たち──Dive in Wonderlandの真の主役
さらに、サブキャストにも豪華な名前が並びます。
- 執事・浦井洸:間宮祥太朗
- 安曇野りせの祖母・文子:戸田恵子
声が場面を包み、語りかけ、時には沈黙すら演出する――
それがこの作品の“ボイス構造”の深さです。
松岡茉優の言葉を借りれば、
「声が現代とワンダーランドをシームレスにつなぐ」。
“誰が語るか”ではなく、“どう語るか”。
キャストの声そのものが、あなたを「Dive」させるのです。
――この夏、耳を澄ませば、ワンダーランドは始まっている。
🎨挿絵デザイン分析|“ページの外”に飛び出す、もう一つのワンダーランド
「目にした瞬間、心が跳ねた。まだ何も始まっていないのに、始まってしまったような気がした」
『不思議の国でアリスと -Dive in Wonderland-』が本気で挑むのは、
「見る」という行為そのものを、“物語の入口”に変えること。
ここで紹介する挿絵デザインたちは、単なる宣伝ビジュアルではありません。
それぞれが、観る者の感情に静かに触れてくる、“飛び込む前の物語”です。
📘 開かれたページから、物語があふれ出す──ティザービジュアルの躍動
まず目を奪われるのは、ティザービジュアルの構図力。
開かれた一冊の本から、主人公・りせと“アリス”が飛び出し、
その周囲を取り囲むようにチェシャ猫や白ウサギ、トランプ兵たちが、
まるで夢の泡のように浮遊している。
この絵に込められた感情は、“観る者を物語の海に落とす”仕掛け。
本という“現実の象徴”から、幻想の住人たちが飛び出していく構図は、
まさに“Dive in Wonderland”のビジュアル的翻訳です。
そして、ただ派手なだけではありません。
よく見ると、色彩のレイヤーや人物の配置が、視線の動きに沿って流れるように構成されており、
観る人を「どこまでも導いていく視覚のナビゲーター」として機能しています。
✂️ 切り絵のような異世界──彩度と静寂のデザインバランス
別ビジュアルでは、切り絵のような“静かな異世界”が広がります。
背景には時計草、ローズガーデン、ティーカップ……
モチーフひとつひとつが、どこか現実にも見える不思議な親密さを持っています。
色彩は、赤と緑の補色コントラスト。
日常と非日常、知っているのに知らない世界──その狭間にある心象を浮かび上がらせています。
まるで“懐かしい夢”を思い出したときのような、
あの“記憶の断片に触れる”ような感覚が宿っています。
🌀 キャラビジュアルの“クセ”が世界を変える
キャラクターごとのビジュアルは全11種。
そこには、たとえば――
- 白ウサギの焦りの滲む瞬間
- チェシャ猫の“何も語らない笑み”
- 青虫のだるさが醸す、気だるい哲学
など、それぞれのキャラが“ただのモチーフ”として描かれていないことがわかります。
デフォルメではなく、“クセ”を残したまま描き出されることで、
キャラクターはただの“アイコン”ではなく、“生活している感覚”を帯びてきます。
これは、どこかで見たことがあるような、でもどこにも存在しなかった、
“日常の隣にあるファンタジー”のリアリティを強化する重要な表現です。
🪞 メインビジュアルの“二層構造”が描く、現実と異世界のスライド
最新のメインビジュアルは、まさにこの作品の設計思想を映す鏡。
背景には現代の街並み、手前には不思議の国――
二つの世界が層のように重なり、明確に区切られていない。
それは、りせが歩く日常と、アリスが住む幻想の国が、
“紙一重”の距離にあることを視覚的に示しているのです。
観る者はりせと共に、“どこまでが現実なのか”を問いながら、
世界の間をスライドしていく。
この構造は、まさに“対話型体験”としてのヴィジュアル戦略。
見ることで、心のどこかが問われ、揺れ動く。
🌈 視覚で始まる“余白の物語”──絵が語り、観客が想像する
この挿絵デザインたちは、ただの装飾ではありません。
構成的に見ると、以下の三層で設計されています:
- (a) 飛び込む直前の“静かな緊張”
- (b) デイルズ(日常)とマジカル(日常外)を重ねる“曖昧な重なり”
- (c) キャラや小道具の“癖”をあえて見せる設計
この三重奏が、観る者の心をほんの少し“揺らす”。
まだ何も始まっていないのに、もう何かが始まってしまったような――
まさにそれは、茉莉花の信条「見終えたあとに始まる物語」の、
視覚からのアプローチなのです。
この挿絵たちは、スクリーンを“観る”前に、心の中の物語を“開かせて”くれるのです。
──あなたの中の「もう一つのワンダーランド」は、どんな色をしていましたか?
🎟ムビチケ特典まとめ|“チケット”は、あなたのワンダーランドの鍵になる
「チケットを手にした、そのときから──もう、旅は始まっている」
映画を観に行く予定日。
その日が近づくたびに、心が少しずつ浮き立つ。
でも『不思議の国でアリスと -Dive in Wonderland-』は、
その“ずっと前”から、あなたを物語の世界へと誘います。
それが、ムビチケ特典。
ただの前売券ではなく、チケットそのものが記憶になるよう設計されたこの仕掛けたちを、じっくり解き明かしていきます。
🌈 透けて見える幻想──「ステンドグラス越しの不思議の国」クリアファイル
まず、劇場窓口や公式通販でムビチケカードを購入すると、
先着限定で特典がもらえます。
その名も──「ステンドグラス越しの不思議の国」A6クリアファイル。
光にかざすと、チェシャ猫やティーカップ、ローズガーデンなど、
ワンダーランドの住人たちがステンドグラスの窓越しに浮かび上がります。
カバンにしのばせたまま、日常の中でふと取り出したとき。
そこに射す光が、またあなたを“あの世界”に連れていく。
これはただの文具ではなく、「持ち歩けるワンダーランド」です。
数量限定・先着順。
1枚の購入につき1枚配布。非売品です。
💌 思い出が“かたち”になる──ムビチケ前売りオンライン券&デジタルカード
4月18日より販売が始まった、ムビチケ前売りオンライン券(デジタル版)。
これを購入すると、鑑賞後に届くもうひとつの特典があります。
それが、「ムビチケデジタルカード」。
映画を見終わった後、あなたのメールボックスに届くのは、
「あなたがDiveした証」になる記録。
観た日、感じた余韻、心に残った瞬間が、カードという形で残る――
それはスクリーンを離れても続く、物語の“記憶化”です。
紙と違って、失くさない。劣化しない。
いつでも思い出せる“感情のしおり”のような存在です。
🕰 価格と販売情報|“日常”にワンダーランドをひとつ
- ムビチケカード価格:一般 1,600円 / 小人 900円
- オンライン券も同価格。購入は劇場・MOVIE WALKER STOREなどで
- 販売終了は公開前日の8月28日(木)まで
特典はどちらも数量限定&非売品のため、早めの入手がおすすめです。
また、作品側からは転売を控えてほしいという公式声明も。
“本当に物語を愛してくれる人”に手渡したいという願いが込められています。
🗝 チケットは、あなたの中の“アリス”に届く鍵
ムビチケを手にした瞬間、
ステンドグラスがあなたの心に影を落とし、
映画を観終わったあと、
デジタルカードがあなたの記憶に火を灯す。
それはきっと、物語に“出会った証”であり、
心の中の“アリス”と再会する鍵。
ワンダーランドへの旅は、
もう予約の画面から始まっているのです。
🌌「DIVE IN WONDERLAND」の意味と深読み考察|“飛び込む”という物語のはじまり
「このタイトルを見た瞬間、自分の中の“どこか”が静かにざわめいた──」
副題に込められた「DIVE IN WONDERLAND」。
それは、ただの言葉ではなく、観る前の私たちにそっと手を差し伸べてくる“合図”なのかもしれません。
物語に“連れて行かれる”のではなく、自分から“飛び込む”。
この作品は、そんな主体的な行為を観客に問いかけてきます。
🌊「Dive」に託された“感情の深み”
まず、“Dive”という単語を口にするとき、心の中にはふたつの感覚が浮かびます。
- 深く潜ること──水面を割って静かな世界に沈むような没入感
- ためらいながらも跳び込むこと──少しの怖さと、期待が入り混じる勇気
このふたつは、まさに映画の構造そのもの。
主人公・りせが“あちら側”の世界へ足を踏み入れるとき、
観客もまた、自分の記憶や感情へと深く“潜って”いく。
それは一歩踏み出す行為であり、同時に、心の奥へと還る旅でもあります。
🔍「IN」が語る“あなた”の存在
次に、「IN」。
これは単なる場所の中を示す言葉ではありません。
- この“IN”によって、観客自身が物語の構造の一部として“含まれて”いる。
- つまり、物語は“りせ”や“アリス”のものだけでなく、「あなた自身のもの」として成立する。
“誰かの物語を覗く”のではなく、“自分がそこに立っている”感覚。
「IN」は、観客をただの外部者ではなく、感情の共犯者に変える装置です。
🎡「WONDERLAND」=記憶と感情の“余白”
そして最後に、“WONDERLAND”。
それは、奇想天外な夢の国というよりも、
「あなた自身が、自分の“ワンダー”を見つけに行く場所」として描かれています。
誰かがつくった幻想ではなく、
見終えたときに「これは私の物語だった」と思えるような、
余白のある場所。
それは、あなたの中の“言葉にならないなにか”に触れ、
静かに波紋を広げるような舞台です。
📐「DIVE IN WONDERLAND」構造考察|三層が重なる体験
この副題の3語を構造的に読み解くと、こうなります:
- あなた(観客)が、
- 物語空間(映像・音・構図)に、
- “飛び込む”という体験
そこには、
- 「Dive」=感情への没入
- 「IN」=物語の共感者としての参加
- 「Wonderland」=自分だけの発見と解釈の場
が、層のように重なっています。
🪞観ることで、“物語が始まる前の自分”に出会う
この作品が目指しているのは、
物語を“終わり”ではなく“入口”にすること。
観終えた後、スクリーンの余韻がふっと心に残っていたとき。
その時こそ、あなたの中の“何か”が静かに動き出す。
誰のためでもなく、「自分の言葉で語りたくなる」その気持ち。
それはまさに、「Dive in Wonderland」があなたの心に届いた証なのです。
🌸茉莉花のひとこと|“副題”という名の魔法について
私はこの副題を見たとき、
「これは読者が“自分語り”を始めたくなる言葉だ」と感じました。
映画を観終えたあと、あなたはきっと誰かに語りたくなる。
「あのシーンで、自分はなぜ涙が出たんだろう」
「この台詞、昔の私を思い出した」
それこそが“Dive”。
誰かの物語に飛び込んで、自分自身と向き合う旅。
この副題は、「あなたの物語もここから始まるんですよ」と、そっと伝えてくれているのです。
🧠物語の裏側を読み解く|キャラクターと世界観の秘密
「このキャラクターは、誰かじゃない。“私の中の何か”だと気づいたとき、物語が反転する。」
『不思議の国でアリスと -Dive in Wonderland-』の魅力は、
そのストーリーラインだけにとどまりません。
今回は、茉莉花流に、キャラクターと構図、モチーフが織りなす“問いかけの装置”としての物語構造を読み解いていきます。
🔁りせとアリス──「鏡」のように重なるふたりの存在
この物語の中で、現代に生きる大学生・安曇野りせと、異世界の少女・アリスは、明確に「鏡像」として配置されています。
どちらも、自分の居場所を探している。
どちらも、自分が“何者であるか”を見失っている。
ふたりの姿は、スクリーンを越えて、
観客自身が心のどこかで抱えている問いと重なっていくのです。
この“同じ問いを、異なる立場で問いかける構造”が、物語に深みを与えています。
🐾案内者は問いかけ、観る者に“自分語り”を始めさせる
チェシャ猫や白ウサギは、世界を動かすキャラではありません。
むしろ彼らは、世界の“境界”を曖昧にする存在です。
とくにチェシャ猫は、言葉が断片的で、論理が通らない。
けれどもその曖昧さが、観る者に「考える隙」を与える仕掛けになっています。
「なんでそんなことを言うの?」ではなく、
「私は、どう感じた?」と、自分に問いを返すようになる。
それが、本作の案内人たちの本当の“仕事”なのです。
🪞川面に映るチェシャ猫と“自己の揺らぎ”
特筆すべきは、水面に映るチェシャ猫の演出。
その姿は、まるで揺らめく鏡。
本当の自分か、記憶の残像か、はたまた幻想か。
茉莉花的に、このカットは、
「あなたも鏡をのぞき込んでごらん」というメタファーだと感じています。
自分の中にある、言葉にできない揺らぎ。
その正体をつかむ前に、すっと消えてしまいそうな“本音”のような存在。
本作は、そんな“かすかな自分”と出会う体験を促しているのです。
♠️トランプ兵と青虫──記憶と問いの構造
ハートの女王の支配下にあるトランプ兵たちが、
川面から顔をのぞかせるような姿。
それは、記憶と現実が混ざり合う兆しを象徴しています。
そして、青虫が繰り返し放つ「あなたは誰?」という問い。
これはまさに、観客への問いでもあるのです。
パイプの煙の輪がゆらゆらと広がる様子は、
問いが広がり、心に波紋を残していく様を視覚化したもの。
青虫は、問いの体現者なのです。
🔄構図の秘密|直線と渦が描く“構造と心象”
本作は、構図の使い分けにも意図があります。
- 現代パート:直線的構図=閉じられた日常、秩序、静けさ
- 異世界パート:円環・渦巻き構図=めまい、循環、中心がない混沌
この違いが、世界が心象に溶けていく感覚を強化します。
りせの心が揺れるたび、背景がわずかに歪む。
それは、構図の意図が“感情と直結している”ことの証です。
📖観終えたあと、物語の続きを“自分の中”に描く
このように、本作には「問いかけられる構造」が随所に埋め込まれています。
だからこそ、観客は作品を「誰かの話」として眺めるのではなく、
自分自身の過去や感情と結びつけてしまうのです。
それは、とてもパーソナルな体験。
けれど同時に、普遍的な“物語との向き合い方”でもあります。
この作品が誘うのは、「物語を観終えたあとに始まる、自分自身との対話」。
茉莉花の信条「ページを閉じたその先に、物語は続く」は、
まさに本作と深く共鳴していると感じています。
あなたは、どこで“心の続きを書き始める”ことになるでしょうか?
🌙まとめ|“不思議の続きを”自分の心で描きたくなる体験へ
「この映画を観終えたあと、何も語れないかもしれない。でも、心が何かを言いたがっていた──それだけは、確かに残っていた」
『不思議の国でアリスと -Dive in Wonderland-』は、
ただのファンタジーではありません。
それは、私たち一人ひとりの中に眠る“問い”をそっと起こす、優しい冒険です。
🎬 映像・演出・音楽・声が織りなす、“飛び込みたくなる世界”
この作品に散りばめられた表現すべてが、
私たちの心を“揺らす”ために、静かに仕掛けられています。
- キャストの演技は、感情の“揺れ”を丁寧に追いかけ
- 挿絵は、“飛び込む直前”の空気を視覚でとらえ
- 音楽は、感情の深層を静かに染めていく
それらが一つに重なることで、ただスクリーンを“観る”のではなく、自分の中に“聴く”映画体験が生まれています。
📘 “Dive in Wonderland”の意味は、観客の数だけ存在する
この副題が伝えているのは、
物語は“他人の話”ではなく、“自分の心の物語”として受け取ってほしいというメッセージです。
あなたが何を見て、何を思ったか。
それがこの作品の“答え”であり、そして“つづき”なのです。
スクリーンの中のりせとアリスの旅と、あなた自身の記憶が、
ほんのわずかでも重なったとき──
それこそが、「Dive」が始まった瞬間なのだと私は思います。
🧩 小道具と構図に宿る、“問いかける物語”の強度
チェシャ猫の姿が水面に揺らいでいたのは、なぜだったのか。
青虫が放った「あなたは誰?」という問いは、誰に向けていたのか。
構図の直線と渦は、りせの心象風景をどうなぞっていたのか。
これらはすべて、“気づかれなければそれでいい”
でも“気づいた瞬間、あなたの物語になる”という演出。
問いは語られずに、そっと置かれていた。
観る者の中で、言葉にならないまま、残響を続けていく。
🌸 そして、映画を出たあとの“心の旅”が始まる
物語は、エンドロールで終わらない。
むしろ、それは心が“続きを描きたくなる”ように設計された体験だったのだと気づきます。
「あのセリフが引っかかっている」
「あの場面、自分にもあった気がする」
そうやって、スクリーンを離れてからも、
“わたしの物語”として考え続けたくなる。
だからこそ私は、茉莉花として、こう思うのです。
「この作品は、あなた自身の“Dive”の始まりだ」と。
🌌物語の余白は、あなたの感情に宿っている
映画館を出たその瞬間、
空の色が違って見えるかもしれません。
見慣れた通学路やカフェのガラス窓の中に、
ふと“もうひとつのワンダーランド”が揺れて見えるかもしれません。
それは、あなたの中のアリスが動き出した証拠。
だから、ページを閉じたそのあとに、どうか続きを描いてください。
物語は、終わらない。
スクリーンが暗くなったその先で、あなた自身の「不思議」が始まるのです。
この記事のまとめ
- アニメ『不思議の国でアリスと』の全貌と世界観の深層が明らかに
- 副題「Dive in Wonderland」が示す“観客の心の旅”を考察
- 演出・挿絵・声優・音楽など各要素が織りなす没入型体験を解説
- キャラクターやモチーフに込められた“問いかけ”の意味に迫る
- ムビチケ特典や構図設計から広がる“スクリーン外の余韻”を紹介
コメント